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「脳の危機」

「脳の危機」【PDF版】



2006年3月
理化学研究所脳科学総合研究センター
(甘利俊一)

本文書は、岩波書店発行「科学]4月号において詳述する「脳科学の危機」という論考の中から、 主としてデータに関する部分だけを抜き出して提示したものである。 論考全体に関して、「科学」4月号をぜひ参照されたい。

 脳は自然が生んだ最も複雑な生命システムである。それは、分子機構をもとに、細胞、回路、システムと構造を積み上げ、情報を処理し記憶するのみならず、人では心という精神機能を備えるに至った。これが、高度の文明社会を生み出した。人は社会的な動物であり、社会の中で生活を送る。人間とその社会を理解するには脳科学が必要であり、それは生命科学の究極の目標といえる。

 日本は脳科学の重要性をいち早く認識し、1996年に学術会議が脳科学の推進を提言、これを受けて脳科学の振興が図られた。ここでは脳科学を分子のレベル、細胞のレベル、回路のレベル、行動のレベル、人の心理、教育、心のレベル、理論の展開と情報科学技術とのかかわり、さらに脳疾患と医療を含む広く学際的な科学として捉え、これを国際的に遂行することとした。このための施策として、全省庁を含む脳科学委員会を設立して日本の脳プログラムを統括すると共に、JSTにおけるCREST脳の3領域の創設、振興調整費による省庁横断的脳科学予算の確保、理化学研究所の脳科学総合研究センターの設立が実行された。日本の英断は世界を揺るがし、その後の世界の脳科学の振興方策に大きな影響を与えた。

 しかし、ここ5,6年の間に大きな異変が起こった。生命科学関連の競争的資金が倍増、3倍増する中で、脳科学の予算が大幅に減少したのである。その理由として、脳科学に対する手当ては8年前に行いもう済んだから、次は他の目標に重点投資するという話が伝わっている。生命科学の究極の目標である人の理解、脳の理解は済むどころではなくて、まさにこれからの課題である。生命の多くの分野と合い携えて、脳研究をいっそう積極的に進めていかなくてはならない。政策の不合理なぶれは、この分野で育ち始めた若手研究者の希望と行き先をなくし、容易には立ち上がれない打撃を脳科学に与える。

 日本の脳科学は、これから社会との連携を強め、研究の成果を社会に還元すべく「脳を活かす」新しい活動を展開しようとしている。この時期に「脳科学の危機」が訪れている。本文書は事実を明らかにし、生命科学全体の中で脳科学の調和の取れた発展を願って、書かれたものである。

 日本の脳科学予算は2000-2001年度をピークに激減した(ピーク時140億円から現在79億円;図1)。これはJST基礎研究の脳科学分野が1/3に激減し(ピーク時年間68億円から、現在26億円)、さらに振興調整費の脳科学枠が廃止された(ピーク時年間23億円から現在0億円)ことによる。JSTの基礎研究分野でも、今のところ次の脳科学関連プロジェクトが発足する明確な予定はない。多数あった科学研究費特定領域研究は「統合脳」としての大枠にまとめられ(ピーク時30億円から現在年間23億円)たが、その後は科研費特定領域研究においても脳科学のこの扱いは廃止される方向で議論がなされている。これをまとめれば、主として大学の研究者のもとへ流れた競争的資金がピーク時に比べ、年間140億円から79億円規模に減少した(詳細は表1)。

 理化学研究所脳科学総合研究センターも例外ではない。その予算は2001年度をピークに大幅に減少し、2006年度では各研究室の配分する予算は当初の60%に追い込まれている。

 一方、この間のライフサイエンス関係の年間予算は、急激な伸びを見た(図2)。すなわち、2000年から2005年の間に、脳関連の予算の減少にもかかわらず、年間予算で毎年100億円規模の伸びを見た。もちろん、科学技術基本計画の第2期が走り始め、科学技術関連の重点4分野が指定され、その中でもライフサイエンスの比重が高かったことは、これからの時代の流れを物語るものである(図3)。しかし、この中で何故脳関連の予算が激減したか、後世の歴史に残る不可解事である。

(百万円)

*1 特定領域研究の合計
*2 目的達成型脳科学研究推進制度のみ
*3 17年度は見込み

表1
図2

 米国では脳科学予算が1998年から増加のペースを早め、2005年までの7年間で約倍増した(図4)。この間、ライフサイエンス関係の予算も急増し、アメリカが主導したヒトゲノム系列の読み取りは一段落したものの、ポストゲノム、システムバイオロジーと製薬業界をも巻き込んで研究が過熱している。しかし、アメリカはさらにその先にヒトにかかわる脳の科学をみて、ここに重点的に投資する姿勢を見せている。政府予算の増加に加えて民間からの脳科学分野への寄付が増え、新しい脳科学研究センターの設立が相次いでいる。第2次世界大戦後に立ち上がった神経科学はもともと米国の力が強かった分野である。アメリカはこの分野での主導権をさらに強めるべくまい進しているのである。

 日本はいくつものテーマで、脳関係で世界を主導する研究があった。さらに、脳の世紀の掛け声の下で脳科学の振興が政策として行われ、1990年代後半の予算増加によって米国を急追した。予算の総額ではとても太刀打ちできないものの、脳科学をどう構想するか、ヒトを理解するための科学としてゲノムからシステム、情報、さらに教育から心まで広がる大きな構想を示すことで理念的にアメリカをリードした。しかし、最近5年間に起こった日本の予算激減と米国の予算倍増により、現在は世界の頭脳を結集する米国の一人勝ちの状況が生まれつつある。


図4

 日本において1990年代半ばに脳の世紀運動が巻き起こり、「脳を知る」領域に加えて「脳を守る」と「脳を創る」領域を掲げ、脳科学の社会への影響の大きさを訴えて1990年代後半の予算増を実現した。また、2003年には、人を理解し、健全な社会を築くための基礎としての脳科学を訴え、予算減の中で「脳を育む」領域を発足させた。一方では、「脳の世紀」活動を展開し、社会への啓蒙活動を積極的に繰り広げてきた。しかし、人の理解を中心とする脳科学の発展の戦略性、脳と社会のかかわりの重要性の訴えが足りず、社会の理解を得ることが不十分であったかもしれない。今後の課題である。

 

Last update: 2006.11.14

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